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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)9726号 判決

原告 都丸幸彦

被告 国 ほか一名

訴訟代理人 吉永順作 田井幸男 ほか五名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し各自金三〇〇万円及びこれに対する昭和四五年三月一四日から支払いずみまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  被告ら敗訴のときは、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告は昭和三二年四月一日被告国かち郵政職員に任用され、同三三年三月一六日以降同四五年六月六日後記の懲戒免職処分を受けるまで杉並郵便局郵便課に勤務(この間同三七年一〇月一日郵政事務官に任命された。)する一方、同三三年四月一日同被告の営む郵政事業に従事する労働者をもつて組織される全逓信労働組合(以下「全逓」という。)に加入して同組合杉並支部(以下「杉並支部」という。)の役員を歴任し、同三九年九月以降同支部書記長の地位にあつた者、被告馬場は同じく同被告から任用された公務員で、同四四年八月一一日から同四六年七月八日まで原告の上司たる同局郵便課長の役職にあつた者である。

2  (本件懲戒処分及び本件告訴)

(一) 被告馬場喜重は昭和四五年二月二〇日杉並郵便局長川名輝司に対して、同被告が同月一七日午後零時八分ころ、同局郵便課事務室において原告から体当たりを受け、よつて加療三週間を要する右撓骨不全骨折の傷害を負つた旨の事実を申告(以下「本件申告」という。)したところ、東京郵政局長浅見喜作は同年六月六日右申告にかかる暴力・傷害行為を主たる理由として(他に二、三の軽微な非違行為を付加して)原告を懲戒免職する旨の処分をした(以下「本件処分」という。)。

原告は本件処分を不服として昭和四六年二月二一日人事院に対し、不利益処分についての不服申立をなし、同庁においてその審査がなされた(以下「審査事件」という。)が、同庁は同四八年七月二一日本件処分の理由となつた暴力行為は存在しなかつたものと認定したうえ、同処分を懲戒減給に修正するとの判定を下した。

(二) 一方、被告馬場は昭和四五年三月一四日警視庁杉並警察署に対し、原告が本件申告にかかる傷害の犯罪行為を犯したとして、原告を告訴(以下「本件告訴」という。)したところ、同署署長から右告訴事件の送付を受けた東京地方検察庁検察官は同事件について捜査した結果、同年五月一九日原告に対し、傷害罪の嫌疑は存するとしたうえで起訴を猶予する旨の不起訴処分をした。

3  (被告らの責任原因)

(一) 被告馬場の不法行為

(1) 前記のとおり被告馬場は昭和四五年二月二〇日杉並郵便局長に対し本件申告に及んでいるが、同申告はその内容において全く虚偽である。すなわち、

〈1〉 杉並支部は昭和四四年秋から年末にかけて、激増する郵便事務量に対処するための職員の定員増加、郵便事務停滞を労働強化によつて解決しようとする当局の労務管理方針の是正等を要求項目に掲げて秋季年末闘争を展開したが、同四五年一月一四日この組合活動の主導者であつた同支部副支部長訴外網野治雄が、業務の正常な運営を阻害する違法な行為を唆し又はあおつたとして郵政省当局から解雇されたほか、一六名の組合員が不利益処分を受けたため、これらの処分に対し同支部として抗議の意思を表明する趣旨で、同月一五日から支部執行委員及び支部青年部役員全員が「団結。全逓杉並支部」と書かれた赤腕章を勤務時間中着用していた。

〈2〉 昭和四五年二月一七日杉並郵便局郵便課職員で杉並支部青年部副部長の訴外柳田貢正(以下「柳田」という。)は、前記腕章を左腕に着用して郵便窓口業務に従事していたところ、郵便課長であつた被告馬場は午前一一時四〇分ころ同訴外人を郵便課事務室内の自席に呼びつけ、当時同局職員の作業監視のため東京郵政局第一人事部第一管理課から派遺されて杉並郵便局に臨局していた同課課長補佐訴外高野泰輔(以下「高野」という。)及び同局庶務課長訴外石川重代(以下「石川」という。)ほか数名の管理者とともに、柳田に対して腕章を取りはずすよう強く要求した。しかしながら、柳田が右要求を拒否したため、被告馬場は二時四五分ころ「お前が取らないなら、俺が取つてやる。」と怒号しながら、同訴外人が着用していた腕章に両手をかけて強引にこれを奪取しようとし、両腕を組んで抵抗する同人との間で激しく腕章を引張り合うなどしていたが、やがて腕章を固定していた安全ピンがはずれて腕章が同人の手首付近まで下りてくるや、同人の左腕をつかんでねじりあげるなどの暴力行為に及んだ。一方、原告は当時郵便課事務室内で差立作業に従事しながら被告馬場と柳田の腕章をめぐるやりとりに関心を寄せていたが、同被告の暴力行為が目に余るほどであつたため、一一時五〇分ころ作業を中断して同被告のもとに近づき、「課長暴力じやないか。組合の財産をとるとはなにごとだ。」といつて抗議したところ、同被告から就労を命じられたので直ちにこれに従つて作業に戻つた。その後も被告馬場は、あくまで柳田の腕章を実力で奪取するとの態度を変えず、前同様これを両手でつかんで強引に同人の手首まで引下げ、一一時五五分ころには右腕章を同人が左手で、同被告が右手で、それぞれわしづかみにして引張り合うに至つた。そこへ杉並郵便局郵便課の職員で、杉並支部郵便分会長をしていた訴外山本栄一が仲裁に入り、同人が被告馬場と柳田が引張り合つていた腕章を預るという形で、同人の腕章をめぐる紛争は落着した。

〈3〉 ところが、前同日午後零時過ぎころ、前記のような被告馬場の強引な腕章奪取行為を聞知した全逓東京地方本部(以下「東京地本」という。)執行委員の訴外三部明光が、同被告に抗議するため郵便課事務室に入室してきたところ、前記高野ほか数名の管理職員が、無断入室を理由に実力で三部を室外に退去させようとし、郵便課長席前付近から同室南側出入口(以下「本件出入口」という。)付近まで同人の身体を押して行き、同所でこれに抵抗する同人との間に数分間のもみ合いが続けられた。

この間原告は、三部に対する高野らの暴力行為に対して、仕事を継続しながら口頭で抗議を繰り返していたが、同人らがその行為を止めないため、二回にわたつてもみ合いの現場(一回目は郵便課長席前から本件出入口に通ずる通路上、二回目は同出入口付近)まで近づいて(なお、原告が二回目の抗議のため本件出入口付近に近づいて行つた時刻は午後零時七分ころである。)、三部の身体に手をかけている前記管理職員らに対して抗議したが、その都度右のようにしてもみ合つている一団の外側に立つてこれを傍観していた被告馬場から就労を命じられたので、同被告に短時間の抗議を行つただけで作業に戻つた。

右のとおり、原告は、被告馬場が本件申告において原告から体当たりを受けたとする前同日午後零時八分に接着する時間帯に、前後三回にわたり同被告に接近しているが、いずれの際も同被告に対し口頭で抗議したに止まり、体当たりはもとよりのこと、原告の身体が同被告の身体の一部に接触した事実は絶対にない。むしろ、前同日被告馬場が右手親指付近に何らかの傷害を負つたとすれば、それは同被告が柳田から腕章を強引に奪取しようとした際、右手に相当な外力が加えられたことによるものと考えられる。

このように、被告馬場の本件申告は、杉並支部の書記長として当局の労務管理方針に反対する闘争を指導していた原告を職場から排除し、同支部の組織弱体化を図る意図のもとにことさらに虚偽の非違事実を構えて原告に懲戒処分を受けさせる目的でなされたものにほかならず、誣告の不法行為を構成する。

(2) また、被告馬場は前記審査事件手続において、証人として宣誓したうえ、故意に本件申告の内容に沿う虚偽の供述をした。

(3) さらに、被告馬場の本件告訴もその内容において虚偽であるが、同被告は原告に刑事処分を受けさせ、原告を職場から排除して杉並支部の弱体化を図る意図のもとに右告訴に及んだものである。

(二) 被告国の責任原因

しかして、被告馬場の右(1)ないし(3)の行為は、原告の名誉を侵害するものであることが明らかであるところ、右(1)の行為は公務員の懲戒作用の一環として、右(2)の行為は本件処分を維持する目的のもとにそれぞれなされたものであり、また、右(3)の行為は杉並郵便局管理職員たる地位において杉並支部の弱体化を図る目的でなされたものであるから、いずれも被告国の公権力の行使に該り、かつ、被告馬場がその職務行為として又は職務に関連する行為としてなしたものであるから、被告国は国家賠償法一条の規定に基づき右各行為により原告が被つた損害を賠償すべき責を負う。

仮に右各行為が公権力の行使に該ると認められないとしても、右各行為は前記のとおり被告国の事業の執行につきなしたものであるから、同被告は民法七一五条に基づく前同様の賠償責任を免れない。

(三) 被告馬場の責任原因

被告馬場の前記各行為が被告国の公権力の行使に該り、同被告が国家賠償法に基づいて責任を負うべきことは前記のとおりであるが、不法行為者たる公務員に故意又は重大な過失があるときは、国又は公共団体と並んで、当該公務員自身も民法の規定に基づいて被害者に対し直接損害賠償責任を負うと解すべきところ、本件における被告馬場の右各行為はいずれも故意によるものであるから、同被告も原告が被つた損害につき賠償の責に任ずべきである。

4  (損害)

原告は前記のとおり、被告馬場の本件申告に基づいて懲戒免職という不名誉な処分(本件処分)を受け、高等学校卒業後生涯の職業として選んだ国家公務員(郵政事務官)の地位を失い、人事院の審査によつて右処分が修正され、職場に復帰するまでの三年間多大の精神的苦痛を被つた。

また、本件告訴は結局起訴には至らなかつたものの、一般的に、自称被害者が加害者と指称する者に刑事処分を受けさせる目的で、証拠を整えて告訴に及んだ場合は、誤つて起訴され有罪判決を受ける事例が決して稀ではないことから、前記不記訴処分がなされるまでの間原告の不安は深刻なものであつた。加えて、右不起訴処分の内容は、犯罪の嫌疑があることを前提とした起訴猶予であつて、原告の経歴に拭うことのできない汚点が残されることになつた。

このような原告の精神的苦痛を慰藉するには金三〇〇万円の支払いが相当である。

5  (結論)

よつて、原告は被告らに対し、損害賠償として各自金三〇〇万円及びこれに対する本件不法行為のうち本件告訴がなされた日である昭和四五年三月一四日から支払いずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  (被告ら)

請求原因1の事実のうち、原告が全逓に加入した年月日及び原告が杉並支部の役員を歴任したとの事実は不知、その余は認める。

2  (被告ら)

(一) 同2(一)の事実は認める。但し、被告馬場が杉並郵便局長に対し本件申告をしたのは、昭和四五年二月一七日である。

(二) 同2(二)の事実のうち、被告馬場が原告主張の日時に警視庁杉並警察署長に対し本件告訴をしたことは認めるが、その余は不知。

3(一)  (被告ら)

(1)同3(一)(1)冒頭の事実のうち、本件申告の内容が虚偽であることは否認する。

〈1〉 同3(一)(1)〈1〉の事実のうち、郵政省当局が昭和四五年一月一四日付で杉並郵便局職員網野治雄を原告主張のような理由で解雇したほか、一六名の組合員を不利益処分に付したこと、原告主張の日時ころから杉並支部の組合員の一部が、その主張のような赤腕章を勤務時間中着用していたことは認める。

〈2〉 同3(一)(1)〈2〉の事実のうち、被告馬場が原告主張のような態様で柳田が着用していた腕章を取りはずそうとしたこと原告が抗議のため同被告のもとに近づき、同被告の就労命令に従つたことは否認するが、その余は認める(但し、時間の経過は否認する。)。

〈3〉 同3(一)(1)〈3〉の事実のうち、原告が二回にわたり作業を離れて抗議し、その都度被告馬場から就労を命ぜられたとの点は否認するが、その余は認める。

原告が抗議のため作業を離れ、被告馬場から就労を命じられたのは一回であり、その際同被告に体当たりを加えて傷害を負わせているのである。

(2) 同3(一)(2)の事実は否認する。

(3) 同3(一)(3)の事実は否認する。

(二)  (被告国)

同3(二)の被告国の損害賠償責任に関する主張は争う。但し、被告馬場の本件申告、審査事件における証人としての供述、本件告訴が、同被告の職務行為又は職務に密接に関連する行為としてなされたものであることは認める。

(三)  (被告馬場)

同3(三)の被告馬場の損害賠償責任に関する主張は争う。

およそ、公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を与えた場合は、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるものであつて、当該公務員個人は、国から求償を受けることがあり得るのは別として、その他人に対し直接賠償責任を負わないものと解すべきであるから、原告の被告馬場に対する本件請求はすでにこの点において失当である。

4  (被告ら)

原告主張の損害額算定の基礎となる事実は不知(但し、本件処分が審査事件の判定により修正されたことは認める。)、損害額は争う。

三  被告らの主張

1  (本件申告について)

(一) 前記のとおり、杉並郵便局では昭和四五年一月一五日ころから、一部職員が勤務時間中白文字で「団結。全逓杉並支部」と書かれた赤腕章を着用しはじめたが、このような腕章の着用は郵政省就業規則二五条に定める「正しい服装」に反し、かつ、同規則二七条の「勤務時間中の組合活動の禁止」規定に抵触するので、右赤腕章を着用している職員に対しては、所属課長からその取りはずしを命じていた,

(二) 昭和四五年二月一七日、当日郵便課窓口事務の担当者であつた柳田は前記のような腕章を左腕に着用して勤務についていたので、被告馬場は右着用が前記就業規則に違反するうえ、とくに一般利用者に接する窓口において腕章を着用することは公衆に不快の念を与えることをも考慮し、同日午前一一時四五分ころ同訴外人を郵便課長席に呼びよせ、「柳田君、腕章をはずしなさい。とくに君は窓口事務をしている。窓口は郵便局の玄関だ。勤務時間中腕章をするのは好ましくない。」といつて腕章の取りはずしを命じ、同被告の傍にいた前記高野及び石川らも交々柳田に対して取りはずしを促したが、同人は「はずそうとどうしようと俺の勝手だ。」などといつて、同被告の命令に従おうとしなかつた。そこで、被告馬場は止むなく、「それでは私がとつてやろう。」といつて柳田の腕章に手をかけたところ、同人はこれを取らせまいとして両腕を組み、後ずさりをして同被告からのがれようとするなどして素直に応じなかつたが、その当時の右両者のやりとりの模様は双方に笑顔がみられるほどで、険悪な状況ではなかつた。そして、被告馬場は数分間ねばり強く柳田を説得し、同人の左腕に腕章を固定していた安全ピンに手をかけて「さあ取りなさい。はずそう。安全ピンをはずしてやるよ。」といつて右安全ピンをはずし、同人も組んでいた左腕を伸ばして腕章の取りはずしに応ずるような態度を示したので、午前一一時五七分ころ右腕章を下し手首から抜き取つたところ、そこへ郵便課職員の山本栄一がやつてきて、「俺が預るよ。」といいつつ同被告の手から腕章を持ち去つたのである。

この間、被告馬場は右手親指付近になんらの傷害も負つたことはなく、他方、原告は郵便課事務室内の差立区分棚で差立作業に従事しながら、大声で、「うるせえぞ。こちらは仕事をしているんだ。」「課長、暴力だぞ。組合の財産になんで手をかけるんだ。」などと怒鳴つて抗議はしていたが、被告馬場の近くまで抗議のため出向いてきたことはなかつた。

(三) このようにして柳田の腕章取りはずしの件が一段落したので、被告馬場は自席に戻り、石川らと業務打合わせをしていたところ、前同日午後零時二分ころ前記三部が突然同被告のもとへやつてきて、なにごとか話かけようとした。被告馬場は当時執務中であり、杉並郵便局の職員ではない三部を勤務時間中郵便課事務室に入室させるのは業務管理上好ましくないので、三部に対して直ちに退室するよう求めたが、同人がこれに応じず、同人を退室させようとする高野、石川ら数名の管理者との間で本件出入口付近においてもみ合いとなり、同室内で作業中の郵便課職員らが騒ぎ出した。そこで、被告馬場は出入口付近に赴き、郵便課事務室内を監視していたが、午後零時七分ころ前記差立区分棚で作業をしていた原告が、「うるさいぞ。うるさくて仕事ができやしない。」などと大声を発したので、その声の方向を振り向いたところ、原告は作業を中止し、「腕章をとれとはなにごとだ。課長、暴力じやないか。組合の財産をとるとはなんだ。」と叫びながら小走りに同被告の方に接近し、同被告との距離二、三メートルの位置から両腕を胸の辺りに組み、その姿勢のまま勢いよく同被告の正面からぶつかつてきた。被告馬場は、とつさに両手を拡げて前に出し、原告の体当たりを防ごうとしたため腕組みした原告の左肘部分が同被告の右手掌に強く当たり、この衝撃で同被告は右手に痛みを覚え、後方に二、三歩よろめいた。被告馬場は直ちに原告に対し就労命令を発したが、原告はなおも、「課長、暴力だ。腕章をとれとはなんだ。」などといいながら同被告に抗議する姿勢を崩さず、同被告の再三にわたる就労命令に従わなかつたが、午後零時一〇分ころようやく作業に戻つた。

(四) その後前同日午後一時一五分ころになつて、被告馬場は原告から体当たりを受けた際に覚えた右手の痛みが重苦しく、かつ、強くなつてきたので、上司である杉並郵便局長にこれまでの経緯を概略報告したうえ、局舎にほど近い稲葉医院において医師である訴外稲葉益已の診察を受けたところ、同医師は加療三週間を要する右手撓骨不全骨折の傷害を負つている旨の診断を下した。被告馬場は稲葉益巳から右診断結果を記載した診断書の交付を受けて、これを杉並郵便局長に提出するとともに口頭で右結果を報告した。なお、被告馬場は昭和四五年二月一九日、東京逓信病院外科で、医師である訴外渡辺正毅から右手の傷害の診察を受けたところ、同医師が加療二週間を要する右手挫傷である旨の診断を下したので、同医師の診断書をそのころ杉並郵便局長宛に提出した。

(五) 以上のとおりであつて、被告馬場の本件申告の内容はすべて真実である。

2  (審査事件手続における供述について)

被告馬場は、前記審査事件手続において証人として取調べを受けた際には、右のような自己の体験した事実をその記憶に従つて供述しているのであつて、偽証の事実はない。

3  (本件告訴について)

原告は被告馬場に前記のような傷害を負わせるという非違行為を犯した後も、なんら反省の色をみせなかつたばかりか、右傷害の治療期間中同被告が右手に包帯を巻いているのを把えて、「課長のデツチあげだ。」などとうそぶくほどであつた。このため、被告馬場は原告の刑事責任を明らかにする目的で、杉並郵便局長の承認を得たうえ本件告訴に及んだものであるが、右告訴に際しても同被告の体験した事実をそのまま申告したものであつて、証告の事実はない。

四  被告らの主張に対する認否

被告らの主張1(四)の事実のうち、被告馬場が昭和四五年二月一七日稲葉医院で、同月一九日東京逓信病院でそれぞれ診察を受けたこと、その診断結果がいずれも被告らの主張のとおりであつたことは認める。

第三証拠〈省略〉

理由

一  原告が昭和三二年四月一日被告国から郵政職員に任用され、同三三年三月一六日以降同四五年六月六日まで杉並郵便局郵便課に勤務(この間同三七年一〇月一日郵政事務官に任命された。)する一方、同三九年九月以降全逓杉並支部書記長の地位にあつたこと、被告馬場が同四四年八月一一日から同四六年七月八日まで同局同課々長の役職にあつたこと、同被告は同四五年二月一七日同局々長に対して本件申告をしたところ、東京郵政局長浅見喜作は同年六月六日原告を本件処分に付したこと、原告は同処分を不服として同四六年二月二一日人事院に対し不利益処分についての不服申立をし、同庁においてその審査がなされたが、同庁は同四八年七月二一日同処分の主たる理由となつた原告の暴力行為は存在しなかつたものと認定して、同処分を懲戒減給に修正する旨の判定をしたこと、同被告は右審査事件手続において証人として、本件申告の内容に沿う事実を供述したこと、同被告は同四五年三月一四日警視庁杉並警察署に対し本件告訴をしたことは当事者間に争いがなく(但し、本件申告のなされた日付は、〈証拠省略〉によりこれを認める。)、〈証拠省略〉によれば、右告訴事件の送付を受けた東京地方検察庁検察官は、同事件について捜査した結果、同四五年五月一九日原告に対し、傷害罪の嫌疑は存するとしたうえで起訴を猶予する旨の不起訴処分をしたことが認められる。

二  〈証拠省略〉を総合すれば以下の事実が認められ、〈証拠省略〉中以下の認定に反する部分は信用できず、他にこの認定を左右し得る証拠はない。

1  昭和四〇年代に入つて郵便事業における郵便物の取扱数量は顕著に増加し(同三〇年度を一〇〇とした場合同四三年度にはその二・二倍強に達したが、これに伴つて郵便物の滞貨、遅配の現象が次第に目立ちはじめ、同四三年ころにはこれが一つの社会問題として取ざたされるに至つた。このような郵便業務停滞の傾向は杉並郵便局においても同様で、その所轄区域内の急激な世帯数の増加とも相侯つて、すでに昭和四〇年ころから大量遅配の事態をかかえ、これが恒常化する傾向にあつた。そして、昭和四四年八月杉並郵便局長に就任した川名輝司は、同局の郵便物大量遅滞の一因が職員の更衣欠務(始業時間に入つてから事務服に着換えて作業に就くため、その更衣の時間だけ欠務すること。)、動務時間中の恣意的な飲食、常習的遅刻等職場規律の乱れにあると判断し、職員に対してこうした勤務態度を是正するよう指導するとともに、従来から遅刻の多かつた職員一〇名を懲戒又は訓告処分に付するなどの措置を講じた。

これに対して杉並支部は、川名局長の右労務管理政策が長年にわたる勤務慣行の無視であるなどとして強く反発し、組合員に対して従来どおり更衣欠務を指示するとともに、毎月一〇数回に及ぶ抗議集会を開くなどして当局との対立の姿勢を強めていつた。そして、全逓各支部が東京地本の指導のもとに展開した昭和四四年秋季年末闘争において、杉並支部は、郵便業務量の増加に対処するための定員増加、労務管理政策変更等独自の要求項目を掲げ、その実現をめざして同年一一月半ばころからいわゆる業務規制闘争(作業能率を意図的に低下させる戦術闘争)に突入した。このため年宋の繁忙期とも重なつて杉並郵便局における滞貨郵便物の数量は著増し、昭和四四年一二月の時点では集配課で約三五万部、郵便課で約二〇万部に達した。このような事態に対して東京郵政局は、昭和四五年一月二六日から同局所属職員で構成する対策班を組織して杉並郵便局に派遣し、同局職員に対する標準作業の指導、訓練及び作業監視に従事させて、滞貨郵便物の処理を図ろうとしたが、杉並支部は右対策班の派遣は労働強化に連なるなどとして反発し、同局における労使の対立関係は厳しさの度を加えるに至つた。

2  こうしたさ中の昭和四五年一月一四日(以下に述べる月日はいずれも同年のそれである。)、郵政省当局は当時杉並支部副支部長であつた網野治雄を、業務の正常な運営を阻害する違法な行為を唆し又はあおつたとして解雇したほか、同支部の組合員一六名を不利益処分に付したことから、同支部ではこれに抗議の意思を表明する趣旨で、一月半ばから執行委員及び青年部役員全員が、「団結。杉並支部」と白文字で書き抜いた赤腕章を着用して勤務に就くようになつた(この事実は当事者間に争いがない。)が、杉並郵便局当局は、勤務時間中の右腕章着用は、正しい服装の遵守を定めた郵政省就業規則二五条及び勤務時間中の組合活動の禁止を規定した同規則二七条に牴触するとして、右腕章を着用している職員に対してその取りはずしを指導する方針で臨み、わけても、窓口業務担当職員に対しては、一般利用者に不快の念を与えるとの考慮から、とくに強い指導を実施していた。

ところで、二月一七日(以下「当日」という。)杉並郵便局郵便課職員で杉並支部青年部副部長であつた柳田は、前記のような赤腕章を着用して同局三番窓口において計器別納の業務に従事していた。被告馬場は午前一一時四〇分ころ、たまたま窓口事務室を巡回中に柳田の腕章着用の事実を目撃した石川からその旨の報告を受けたため、柳田を郵便課事務室内の自席に呼びよせて腕章の取りはずしを指示しようと考え、自ら三番窓口に赴いて他の郵便課職員に柳田の職務を一時担当させることとしたうえ、同人に対し自席に来るよう命じたところ、同人は午前一一時四六分ころ右郵便課長席(別紙図面〈1〉)の位置)へやつてきた。そこで、被告馬場は柳田に対し、「柳田君、君には再三いつてあるとおり全逓の腕章をはずしなさい。とくに君は今日窓口事務を担当し、お客さんに接している。郵便局の窓口事務は、いわば郵政省の玄関だ。勤務時間中そういうものをしているのは好ましくない。はずしなさい。」といつて腕章の取りはずしを促したが、同人は、「はずそうとどうしようと俺の勝手だよ。私はお客さんには親切にしている。仕事とは関係ないじやないか。その理由をいつてくれよ。」などと答えて同被告の指示に従おうとしなかつた。当時郵便課長席の周辺には、石川、前記対策班のメンバーとして当日杉並郵便局に臨局していた前記高野及び東京郵政局第一人事部第一管理課課長補佐訴外長岡進(以下「長岡」という。)らが、被告馬場と柳田のやりとりの成行を見守つており、同人が容易に同被告の命令に応じないとみるや、右管理者らも交々柳田に対し、腕章の取りはずしを促したが、同人は拒否の態度を変えようとはしなかつた。かくするうちに、被告馬場は「どうしてもとらないんだね。それでははずしてやろうか。」といいながら両腕を伸して柳田の左腕の腕章に手をかけ、これを手首の方に引下そうとしたところ、同人は「なんだ。」「ふざけるな。」と大声を発し、続いて郵便課事務室内で作業をしていた他の職員の注意を喚起する意図で、「みんなみていてくれ。」と呼びかけるとともに、両腕を胸の前にしつかりと組み、前かかがみの姿勢になつて、実力で腕章を取りはずそうとする同被告に抵抗した。この時、原告は郵便課事務室内の三番差立区分棚前(別紙図面〈2〉の位置)で差立作業に従事していた(なお、当日の原告の服務は「早番の一」と称する勤務体系で、午前七時から午後三時五分までが勤務時間、そのうち午後零時一五分から午後一時までが休憩時間であつた。)が、前記のような柳田の大声で、同人が被告馬場から腕章の取りはずしを命じられている事態に気づき、右作業を継続しながら、同被告に対し「課長暴力だぞ。組合の財産になぜ手をかけるんだ。」と抗議する傍ら、柳田に対しては「頭にきても絶対に手を出すんじやねえぞ。」といつて、同人が同被告に実力を用いた反抗を加えるなどしないよう、その自戒を求めた。

一方、柳田は、被告馬場が「さあ、はずそう。」などと説得をくり返しながら、なおも腕章に手をかけて実力で取りはずそうとするため、腕組みした姿勢のままその追及を逃れて、郵便課長席前からその南側に位置する代理主事席と主任席の間付近(別紙図面〈3〉の位置)まで移動し、そこから再びもとの郵便課長席付近まで戻り、午前一一時五七分ころには同席の後方に在るロツカー前(別紙図面〈4〉の位置)に至つた。被告馬場は右のように移動する柳田に密着して、その腕章に手をかけたり離したりしながら説得を続けたが、この間、ときに同人と同被告が腕章を引張り合うようなこともあつた。そして、前記のとおり、被告馬場と柳田が郵便課長席後方のロツカー前付近に来たときには、同人は先刻の抵抗で多少疲労したこともあつて、組んでいた腕を伸ばすなどして抵抗を弱めたところ、同被告は柳田の腕章に装着されていた安全ピンを取りはずし、腕章を同人の手首付近まで引下した。これに対して柳田は腕章を被告馬場に渡すまいと左手にしつかりつかみ、これを右手につかんで取り上げようとする同被告との間に、押し問答をしながらの引張り合いが暫時継続した。そこへ、郵便課職員で杉並支部郵便分会長の山本栄一(同人は当日郵便課事務室内特殊事務室で作業をしていた。)がやつて来て、被告馬場に対し、「課長、もういいじやないか。腕章がはずれたのだから。俺が預るよ。」といつて柳田の腕章を持ち去り、右腕章をめぐる紛争(以下、この紛争を「柳田事件」という。)は一応落着した。

なお、この間原告は作業を継続しながら、再三被告馬場に対し、「課長、暴力じやないか。組合の財産に手をかけるとはなにごとだ。」などと抗議していたが、同被告と柳田が前記のとおり別紙図面〈3〉の位置に移動してきたとき、作業を離れて九番差立区分棚のすぐ東側に置かれている押印機付近(同図面〈5〉の位置)まで赴き、同被告に対し前同趣旨の抗議をしたが、同被告から就労命令を発せられたため、直ちにこれに従つた。

3  一方、東京地本執行委員三部は一月ころから杉並支部の闘争を支援する目的で杉並郵便局に常駐していたが、当日午後零時ころ同局舎五階の組合事務室に在室していたところ、柳田事件を目撃した同支部執行委員井垣忠良から右事件について報告を受け、直ちに被告馬場に抗議するため一階の郵便課事務室に赴き、午後零時二分ころ課長席に坐つて決裁書類に目を通している同被告の前方約二・五メートルの位置まで歩を運んで、同被告に対し、「なんだ、聞いたところによると随分ひどいことをやつたそうじやないか。」といつて抗議をはじめようとした。当時杉並郵便局当局は、非職員たる東京地本役員が執務中執務室に無断で入室することを禁止しており、これに違反する者は管理者が実力を以て室外に排除するのが常例であつたが、当日右のようにして郵便課事務室内に入つてきた三部に対し、まず高野がその前に立ちはだかつて直ちに退去すべき旨を伝え、これを拒否する三部を郵便課長席前から本件出入口方向に身体で押して行つた。しかしながら、三部は高野に体当たりを加え、同人に加勢しようとした杉並郵便局庶務課主事訴外武藤吉郎にも同様体当たりを加えるなどして激しく抵抗したため、郵便課長席周辺に居た石川、長岡も三部の排除に加わり、結局右四名の管理者らが三部を取囲んで同人を本件出入口北寄りの壁(別紙図面〈7〉の位置)付近に押し込み、同所でこれに抵抗する同人との間にもみ合いが展開されるに至つた(以下右のような三部の強制退去をめぐる事実の経過を総称して「三部事件」という。)。原告はこの状況を作業を継続しながら目撃し、三部と前記管理者らが郵便課長席西側の会議用卓子付近(別紙図面〈6〉の位置)でもみ合つている際、作業用把束ひもの調達が目的であるかのように装つて、三番差立区分棚前から離れて右卓子辺りに至り、三部の身体に手をかけている高野に対し、「機関役員に対して暴力をふるうのはやめろ。」といつて抗議したが、被告馬場から就労命令が出されたので、「俺は把束ひもを探しに、仕事できているんだ。」とやり返して作業に戻つた。

一方、被告馬場は、前記四名の管理者が三部を実力で退去させる模様を自席で傍観していたが、そのもみ合いの一団が自席前から本件出入口付近まで移動するのに追随して自らも移動し、午後零時七分ころには右出入口のやや南側(別紙図面〈8〉の位置)に立つて、前記別紙図面〈7〉の位置で押し合うなどしている右管理者らと三部の方に目を注いでいた。

三  ところで、原告は、当日午後零時七分ころ、三部を実力で室外に排除しようとしている管理者らに抗議するため、作業を離れて郵便課事務室南側出入口付近まで赴き、同所に立つていた被告馬場に接近したことはあるものの、その際原告が同被告に対して体当たりを加えた事実がないのはもとより、両者の身体が接触したこともなく、原告は同被告から就労を命じられて、ごく短時間の抗議をしただけで作業に戻つた旨主張し、〈証拠省略〉中には右主張に沿う部分(以下これらの証拠を総称して「支持証拠」という。)が存在するが、他方、被告らは、前同日同時刻ころ右出入口付近において、原告が被告馬場に対して体当たりの暴行を加えた(その具体的態様は被告らの主張1(三)記載のとおりである。)旨主張するところ、〈証拠省略〉中には右主張に符合する部分(以下これらを総称して「反対証拠」という。)が存在して、これらの証拠が鋭く対立している。そして、被告ら主張にかかる原告の体当たりの有無についての判断は、他にこれを確認し得る証拠がないことから、結局対立する支持証拠と反対証拠の信ぴよう性の評価にかかつている。そこで、以下にこの点について検討する。

1  支持証拠について

まず、支持証拠のうち〈証拠省略〉(審査事件における井垣忠良の証人尋問記録書)の供述記載部分は、当日三部事件の際本件出入口付近に居た同人は、その近くに原告及び被告馬場がきていることに気づいてはいたが、右両名の動静を具に目撃していたわけではなく、ただ、右両名がぶつかり合うような気配は感じなかつたというものであつて、もともと問題の体当たりの有無を認定するうえでの証拠としては価値の乏しいものである。また、〈証拠省略〉(審査事件における三部の証人尋問記録書)の供述記載部分は、当日被告馬場に抗議するため郵便課事務室に入室した三部が、一五名ないし二〇名の管理者らに取囲まれ、本件出入口付近で押されたり、突かれたり、引張られたりしている際、原告が差立区分棚から抗議しつつゆつくりと歩いて同出入口の方にやつてきたところ、同被告が就労命令を発し、これに次いで三部が大声で「大丈夫だ。都丸君。戻つて作業をやれ。」と就労を促したので原告が立ち止り、更に三部の「帰れ。」という声で原告が作業に戻つたのであつて、その際原告と同被告の身体が接触したことはない、というのであるが、仮に三部が一五名ないし二〇名の管理者らともみ合いの最中であつたとすれば、そのような状況のもとで右のように原告の動静を具に観察し得る余裕があつたとは考えられず、従つて、三部の右記載にかかる供述部分は、同人が自ら体験した事実をその記憶に基づいて供述したものとみるには疑義があるといわなければならない。

しかして、本件当時の杉並郵便局における労使関係はきわめて厳しい対立状態にあり、当日に先立つ約一か月前には杉並支部副支部長網野治雄が、業務の正常な運営を阻害する違法な行為を唆し又はあおつたとの理由により解雇処分に付されたことは前記のとおりであるが、〈証拠省略〉によれば、右のような状況から、原告を含む同支部幹部らは組合員に対し、管理者側に懲戒処分(とくに免職)の口実を与えないよう、その行動に慎重を期すべき旨を指導していたことが認められること、現に前記のとおり、原告は柳田事件の際、同人に対して実力の行使を厳に戒める趣旨の助言をしていること、〈証拠省略〉によれば、当日対策班の一員で、東京郵政局貯金部管理課第一服務係長であつた同人(以下「高橋」という。)は、原告の作業状況を逐一監視して記録する職務にあたつていたことが認められ、従つて、仮に当日原告が何らかの非違行為に及ぶとすれば、確実に現認される状況にあつたこと(なお、〈証拠省略〉によれば、原告は、当日高橋が自己の作業を監視している事実を知悉していたことが認められる。)等の諸事情に鑑みれば、杉並支部書記長たる原告は被告馬場に体当たりを加えるような暴挙には出ないであろうと一応考えられ、従つて、〈証拠省略〉の供述記載部分を除くその余の支持証拠については、その信ぴよう性を肯認できないではないということができる。

2  反対証拠について

しかしながら、他方、反対証拠についても以下に述べるような理由から、相当の信ぴよう性が存するものといわなければならない。すなわち、

(一)  反対証拠を総合すると、被告馬場は当日午後零時七分ころ原告から体当たりを受けた際、両手を拡げて胸の前約四〇センチメートルの位置に出し(手の平側を外側に向けて)、原告の身体を受けとめたが、その折胸の前に組んだ原告の左腕の肘が同被告の手の平に当たり、瞬間的に「ズン」という痛みを感じたというのである。

ところで、〈証拠省略〉によれば、被告馬場は当日杉並郵便局々舎内の食堂で昼食をすませ、零時五〇分ころ自席に戻つてきたが、そのころから昼食時に覚えた右手首の痛みが激しさを増してきたことが認められ、他方、被告馬場が当日午後一時一〇分ころ同局舎にほど近い稲葉病院で医師稲葉益巳の診察を受けたところ、同医師は加療約三週間を要する右手撓骨不全骨折の傷害を負つている旨の診断を下したこと、また、被告馬場は二月一九日東京逓信病院外科で医師渡辺正毅から同じく右手の診察を受けたところ、同医師は加療約二週間を要する右手挫傷の傷害である旨の診断を下したことは当事者間に争いがない。しかして、右二人の医師の診断のいずれが正しいかの判断はしばらく措くとしても、〈証拠省略〉によれば、二月一九日当時における被告馬場の右手の症状は、同被告の主訴として右撓骨下端から第一中手骨にかけて鈍痛があり、右撓骨棘状突起部に圧痛が、右撓骨に圧迫を加えると疼痛がそれぞれあるものの、右手関節及び右母指の運動は正常で、腱損傷の症候もなく、右症状から推断すると、同被告の傷害は右手親指つけ根の下部(手の平側)に外力が加えられたことによるものであることが認められる。

してみると、反対証拠に現われる原告の体当たりの状況は、被告馬場の傷害の症状から推断される受傷原因の態様と符合することが明らかである。

他方、前記認定のように柳田事件の際、被告馬場と柳田との間に腕章の引張り合いがなされた事実があり、この事実からして、同被告の右手にかなりの負荷が加えられたことは推認するに難くないけれども、その際同被告の、とくに右手親指つけ根下部に強い外力が加えられたことを認め得る確証はなく、他に同被告が同日柳田事件、三部事件以外の機会に右手に傷害を負つたことを認め得る証拠もない。

(二)  前記認定のとおり、杉並郵便局当局は勤務時間中の腕章の着用を郵政省就業規則に違反するものとみなし、これを着用している組合員に対して、管理者らがつとに取はずしを指導してきたのであるが、〈証拠省略〉及び弁論の全趣旨によれば、当日の柳田事件のように管理者が実力を行使してまで腕章の取りはずしを命じた例は稀有であつたこと、前記のとおり、原告は柳田事件の際、再三にわたり被告馬場に対して腕章の取りはずしにつき抗議していること、前記のとおり、柳田事件は杉並支部の組合員である山本栄一が柳田の腕章を預るという形で落着をみたのであるが、〈証拠省略〉によれば、三番差立区分棚で作業をしていた原告は、同事件が右のような形で落着したことを知らなかつたものと認められること、〈証拠省略〉によれば、原告は当日勤務が休憩時間に入つた午後零時一五分ころ、本件出入口から約三メートル南側に寄つた地点付近に居た被告馬場に近づき、「なぜ手を出すのか。なぜ組合の財産をとつたんだ。」といいながら同被告につめより、同所に集つてきた石川、高野らに対しても、「なぜ腕章をつけてはいけないんだよ。」などといつて抗議している事実が認められること、〈証拠省略〉によれば、原告は、二月一八日被告馬場に体当たりを加えたとの被疑事実につき、杉並郵便局長川名輝司らから事情聴取を受けた際、同局長の「一七日は君は珍しくハツスルしたそうだな。」との問に対して、「組合の財産をとられたりしてはね。」と答えていることが認められることなどの諸事情に鑑みれば、客観的には一応柳田事件が落着し、三部事件の渦中にあつた当日午後零時七分ころの時間帯において、原告が柳田事件に関して、被告馬場に対しかなり強固な抗議意思を有していたものと推認するのが相当であり、他に右認定を左右し得る証拠はない。

他方、杉並郵便局当局が東京地本の役員が勤務時間中同局舎の執務室に無断で入室することを禁止し、これに違反する者に対しては実力を以て排除する措置をとつていたことは前記のとおりであるが、〈証拠省略〉によれば、東京地本執行委員三部は本件当時連日のように右禁止令に違反して郵便課事務室内などに立入り、退去を求める当局側管理者との間に実力を用いた抗争を繰り返していたのであつて、当日の三部事件のようなもみ合いは、同局においては格別目新しい事態ではなかつたことが認められること、〈証拠省略〉によれば、三部事件の際原告は、三部を実力で排除しようとしている管理者らに対して、その中止を求めて抗議をしても到底聞き入れられないであろうことを認識していたが、ただ、郵便課事務室内で作業中の組合員に対し当局による実力排除の不当性を訴えるという目的から、抗議をする必要があると考えていたことが認められることなどに鑑みれば、原告の三部事件に関する抗議の意思はさほど強硬なものではなかつたと推認される。

そして、右のような認定事実に加えて、前記のように、もともと三部は被告馬場による柳田の腕章取りはずしに抗議する目的で郵便課事務室に入室してきたのであるが、管理者らはその三部の抗議を封ずるために実力を行使して同人を室外に排除しようとしていたのであるから、三部事件を機に柳田事件に関する抗議が再燃しても不自然ではないことを併せ考えれば、当日午後零時七分ころ、三部事件の渦中にあつたとはいえ、原告が「腕章をとれとはなにごとだ。課長、暴力じやないか。組合の財産をとるとはなんだ。」とのことばを発したというのも、一応合理的に納得できるところである。

(三)  当日午後零時すぎころ(三部と管理者らが本件出入口付近でもみ合いを続けている時間帯に)、原告が作業を離れて本件出入口付近に赴き、同所付近に佇立していた被告馬場に接近したことは、支持証拠からも認められるところであり、かつ、その際原告が腕組みの姿勢を取つていたことは原告がその本人尋問の結果において自認するところである。

(四)  〈証拠省略〉によれば、被告馬場は当日昼の休憩時、杉並郵便局々舎内の食堂で偶々席を隣合わせた原告に対し、冗談とも受け取り得る口調で、「どうも右手が痛い。都丸君にやられたんじやねえかなあ。」と述べているのをはじめ、同日午後一時すぎころ局舎内で顔を合わせた高野に、「どうも都丸にやられた。手が痛い。」と打明け、更に、二月一九日東京逓信病院で診察を受けた際には、担当の医師渡辺正毅に受傷原因(病歴)について説明しているが、同日同医師が作成したカルテには同被告の病歴として、当日午前一一時四五分ころ杉並郵便局事務室で腕組みした組合員に体当たりされ、両手で受けたが右手関節上部に痛みを覚え云々という記載のあることが認められる(なお、〈証拠省略〉によると、同被告が当日原告から体当たりを受けた時刻は午後零時七分ころというのであり、右カルテに記載された時刻と符合しないことが明らかである。しかしながら、〈証拠省略〉によれば、同被告は二月一九日東京逓信病院において医師渡辺正毅に対し受傷原因を説明した際、同医師の求めに応じて、原告の「体当たり」の発端となつた柳田事件から時間的経過を追つて説明したことが認められる。しかして、右被告馬場の説明の具体的内容がいかなるものであつたかを確認し得る証拠はないけれども、その説明方法如何によつては、これを受けた渡辺正毅が「午前一一時四五分(柳田事件がはじまつた概略の時刻)ころ……体当たりを受けた…」と要約的にカルテに記載することは十分あり得ることであつて、右カルテに記載された「体当たりの時刻」が前記反対証拠中に現われる「体当たりの時刻」と相違することの一事をもつて、反対証拠に信ぴよう性がないものと即断することはできない。)のであつて、右認定事実から明らかなとおり、被告馬場はすでに当日中から原告の「傷害行為」の存在に言及し、二日後の二月一九日には東京逓信病院の医師に「体当たり」の事実を述べるなど、同被告の受傷原因が原告の行為にあるとの認識を一貫して表明しているのである。

(五)  〈証拠省略〉は被告馬場作成の現認書、〈証拠省略〉は高橋作成の現認書で、それぞれ原告の「体当たり」を体験又は目撃した旨の記述があるが、〈証拠省略〉によれば、前者は同被告が当日書き留めておいたメモに基づいて同日中に自宅で作成したものであることが認められ、また、〈証拠省略〉によれば、後者も高橋が当日原告の行動を観察しながら記録したメモに基づいて、同日中に杉並郵便局で作成したものであることが認められ、右二つの現認書の作成に当たつて被告馬場と高橋が事前に打合わせをしたり、意見・認識の交換をするなどしたことを認め得る確証はない(右二つの現認書を対比すれば、原告が同被告に体当たりを加えた際に発したという「ことば」の記載が完全に一致していることが明らかであるけれども、前記認定のとおり、原告は当日右の「ことば」と同趣旨の内容の発言を繰り返しており、従つて、同被告や高橋が強く印象に留めていたとも考えられるのであつて、前記のような記載内容の符合のみをもつて右二つの現認書の作成に当たつて右両名の間に事前の打合わせなどがあつたものと推認することは難しい。)。

そして、前記二つの現認書に表現される原告の「体当たり」の状況を対比してみても、大要においては一致するほか、被害を受けたという被告馬場作成の現認書の方が「体当たり」の具体的態様についての記述がより詳細であり、その内容においても格別不自然、不合理な点は見受けられない。

(六)  なお、前記反対証拠によれば、被告馬場は原告から体当たりを受けた際、これを非難し又は中止させるような言葉を何ら発しなかつたし、右体当たりを目撃した高橋も同様であつたというのであるが、前記認定のような本件当時の杉並郵便局における労使の厳しい対立関係を顛慮するときは、右「体当たり」に対し、同被告又は高橋が(前記のとおり同被告が就労命令を発したほかは)、何ら具体的な対応を示さなかつたというのは不自然であると考えられないではない。しかしながら、原告の「体当たり」が同じく右反対証拠に表現されているような態様の、しかも瞬間的かつ一回限りのものであり、これを受けた被告馬場において受傷原因となるほど強烈な暴行行為であるとは意識しなかつたとすれば、同被告又は高僑が原告の「体当たり」を非難し又はこれを中止させるような格別の言葉を発するに至らないということも容易に考え得るところであつて、右両名の右のような不作為のみをもつて反対証拠に信ぴよう性がないということはできない。

3  前記1及び2に述べたような支持証拠と反対証拠の信ぴよう性の評価を対照させて考えれば、本件においては、当日原告が被告馬場に体当たりをした事実はないとの確実な心証に達することはできないといわざるを得ず、従つて本項冒頭の原告の主張はその証明がないということに帰着する。

四  しかして、原告は、被告馬場の本件申告はその内容において虚偽である旨主張するところ、同被告が当日杉並郵便局長川名輝司に対し本件申告をしたことは前記のとおりであるけれども、右申告にかかる原告の体当たりの事実がなかつたものとは証拠上認め難いこと(この点は前記のとおり。)、当日同被告が右手に「傷害」を負つたことは紛れもない事実であり、医師稲葉益已は右傷害の内容、程度が加療約三週間を要する右撓骨不全骨折である旨の診断を下したのであるが(この点は前記のとおり。)、〈証拠省略〉並びに弁論の全趣旨によれば、同被告は同医師の診察を受けて同局に帰局した後、同局長に対し口頭で右診断結果を報告するとともに診断書を提出していること、反対証拠に現われるような態様の体当たりが為されたとすれば、それは同被告の右傷害の原因行為に相応し得るものであること(この点は前記のとおり。)を総合して考えるときは、本件申告の内容が虚偽であると断ずることは難しく、他に右主張を肯認し得る証拠はない。また、原告は、被告馬場の審査事件手続における証人としての供述及び本件告訴は、その内容において本件申告に沿うものであつて虚偽である旨主張するところ、同被告が審査事件手続において証人として供述し、また、六月一四日杉並警察署に対し原告を傷害の罪で告訴したこと、右証言及び告訴の内容が右申告に沿うものであることは前記のとおり当事者間に争いがないけれども、これらが虚偽とは認め難いことは右申告について先に述べたところと同様であつて、右主張もまた採用できない。

なお、〈証拠省略〉によれば、被告馬場の審査事件手続における証人としての供述は、当日稲葉医院で診察を受けた際の状況についての証言は詳細をきわめている(例えば、右医院に赴いた時刻、撮影したレントゲン写真の枚数、右レントゲン写真の模様、医師の診断結果の説明内容等)のに対し、その後東京逓信病院で医師渡辺正毅の診察を受けた際の証言はあいまいである(同病院に赴いた日時、同医師の診断結果に関する説明内容(とくに骨折の有無)、診断書の交付を受けたか否かについても明確な記憶がないと述べている。)が、右各証拠によれば、被告馬場が東京逓信病院に赴いた理由は、稲葉医院の診断結果が予想外の重症であつたため、さらに専門的な診察を受けるにあつたことが認められるから、東京逓信病院の診断結果如何については、同被告にとつて大きな関心事であつたと推認されること、また、〈証拠省略〉によれば、同病院の医師渡辺正毅は同被告に対して診断の結果(骨折ではなく挫傷であること)を説明し、かつ、診断書を交付している事実が認められることに鑑みれば、前記のように同被告の供述があいまいである点は不自然な感を免れず、この点に関する同被告の供述は、その記憶に従つてなされたものであるか否か、多分に疑問が存するといわなければならないし、〈証拠省略〉によれば、同被告は本件告訴にあたつて、その傷害に関する東京逓信病院の診断結果については、なんら申述していないことが認められるのであつて、右のような供述のあいまいさ及び本件告訴にあたつての別個の診断結果の不告知という事実は、これによつて人事院での供述及び本件告訴が虚偽のものであるということにはならないものの、反対証拠のうち〈証拠省略〉中の供述部分などの証拠の信ぴよう性を判断する一資料たり得ることはいうまでもない。しかしながら、一般に傷害の被害を受けた者は、その傷害の内容、程度について判定を異にする数個の専門家の診断結果が存する場合、告訴、捜査官の取調べ過程、裁判手続等における申述内容が、往々にして最も重い判定を下した診断結果に偏る傾向のあることは裁判所に顕著な事実であつて、かかる点をも考慮するときは、前記のような被告馬場の供述内容及び捜査機関に対する不告知の事実のみをもつて、右反対証拠が全体として信ぴよう性を欠くということはできない。

五  以上のとおりであるから、原告の被告らに対する本件請求はその余の点について判断するまでもなく失当としていずれも棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山田二郎 矢崎秀一 小池信行)

別紙 杉並郵便局郵便課事務室配置図(昭和四五年二月一七日当時)

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